忍者ブログ
RO・日記中心のBLOG 故にBROG 決して誤字じゃあない
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

厳顔プレイ 203年
203年、上から指示されていた漢中攻略を実行に移す。

張魯軍の本拠地であるため、十分な準備をしてから望んだ。
1万の部隊を8隊、計8万の軍勢を鍛え、兵器を配備し、自軍の将軍は各地から集めた名将たち。
厳顔・法正・朱桓・徐盛・甘寧の5名。

まずは前哨戦、陽平関の攻略。
守備に軍勢が出てこなかったので画面が切り替わらず、MAP上で「ワーワー!」といってるだけ。
そのまま陥落。コレで漢中への道が開けた。

連戦すると疲労がたまって士気の低下を招くので、いったん江州へ期間。
陽平関攻略でいくらか兵が減っていたが、気にしないですぐに再度陽平関方向へ進んで漢中へ攻め込む。
さて、ここからは大戦略やFFTのようなへックス戦闘である。
これぞシミュレーション!って感じに な っ て ま い り ま し た 。
いざ攻城戦へ!!



うん、すげー簡単に勝っちゃった。
張魯軍に有能な武将なんてほとんどいないしね。
張衛だっけかな・・・彼だけはそこそこだったけど。
たいした損害も無く、10万の兵を打ち破りました。
その後事後処理、一応全員登用は試したけど、下ったのは2人だったかな。
うちの部下にはいらないんで、すぐに劉璋に預けました。

その後、兵員の補充もないまま、朱桓を大将に同じ軍勢で雲南を攻める。
士ショウ軍の支配地だけども、太守がいないので扱いは未所属都市と同様。
さくっと落として自軍に組み込む。
これで士ショウ軍とは険悪になったけど、どうせ弱い相手だから気にしない。

朱桓に戦争をやらせてる間に、自分はまたまたまたまたまたもや人材探索へ。
柴桑で、蒋幹と周泰を発見。
周泰はさくっと登用。蒋幹はグズるので放置。

引き続き柴桑の中で探索していると、袁紹死亡の報が入る。
息子の袁譚が跡を継いだようだ。

柴桑でもう一人発見、呂蒙。
周喩、魯粛、と続いた呉の大都督を継いだ人です。後継は陸遜。
まだいわゆる「呉下の阿蒙」であり、勇将ではあるが名将ではない感じ。
孫権軍でプレイしていると、呂蒙パワーアップイベントがあるらしいのですが、いかんせん今は厳顔。
パワーアップは望めないのでありました。
とはいえ、そのままの状態でも十分強いことに変わりはないので粘って登用。

呂蒙の登用に躍起になっている間、劉璋配下の荀攸が永昌を攻撃し・・・って荀攸!?
いつの間に劉璋軍に居たんだよ・・・全く気づいてなかった。
とりあえずこれで南方は制圧。支配地が増えた我らが劉璋様は中郎将に任命されました。

その後、人材探索遠征の帰り道に武陵でさらに寥立と潘濬を登用。
潘濬って関羽見捨てた人だったような・・・。まぁいいか。

江州に帰り、部下に内政を命じたあたりで伝令から報告が。
公孫サン軍が袁譚軍に破れ、滅亡したとの事。
公孫サン自身は袁譚に下った模様。
史実よりはだいぶ遅かったけど、袁家に滅ぼされたか・・・。
PR
コメントを投稿する

HN
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
無題

劉章以外の勢力はそのまま歴史どおりっぽいなぁ
…ジュンユウがなんでそんなとこにいるのかは疑問だけどw

こちら三国志11,曹操で始めたけどエンショウと同盟結んでたもんだから(しかも期限なしの)
いつの間にかリュウヒョウ殲滅してたりする…
今後の戦略が困りモノです
無題

同盟?そんなものいつでも破棄できるのですよ、問題ない問題ない。
と、Ⅹではなるけれど11ではどうなのか。
てか袁紹の国力を吸収しなくても、南方は簡単に倒せそうな雰囲気がしちゃうなぁ。

前回の記事のコメに返信したはずなのに、なぜか残ってない不思議。
書き直すのもめんどいなー(ぁ
カウンター

プロフィール

HN:
SAM
HP:
性別:
男性
趣味:
音楽全般・ゲーム全般
最新コメント

[11/19 rado watches on sale]
[11/19 rado watches]
[05/23 SAM]
[05/16 こげまつり]
[04/13 SAM]
最新トラックバック